株式会社ダニエルが設立されるまでの歴史は横浜開港と深いつながりを持っています。
横浜元町のクラシック家具「ダニエル」ができるまで、そして、設立後のあゆみをご覧ください。
英国人ゴールマンが馬具職人・原 安造に椅子の張替を依頼。
これが後の“横浜洋家具”の原点となる。
日本の洋家具はゴールマンにより横浜に種をまかれ、職人達が実体験を通じて会得していきました。しかし、地震や敗戦により一時は衰退してしまいます。
これを再興させたのが富沢市五郎(府立東京高等工芸学校教授・三光家具経営 兼 デザイナー)です。 彼は横浜家具を再興させたばかりか、その質を模倣から創造へとレベルアップさせました。 弟子の石川謙蔵が天皇陛下儀式用御椅子、ホテルニューグランドの家具などを設計しています。後に彼はダニエルでデザインの指導に当たりました。
一方、1948年神奈川県需品共同家具組合理事長に就任した咲寿武道はその後、協業組合ヨコハマクラシック家具をつくり、技術の保存と品質向上に努め、今日のダニエルの基礎をつくりました。 また、三光家具の隣家の(株)イズミ家具インテリアに勤務する咲寿武道の甥・高椅保一には、富沢から「本物の家具を、世界に誇れる品質を」と横浜洋家具の思いと夢を託されたのです。
1945 | 湘南木工株式会社 設立 |
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1948 | 神奈川県需品家具工業組合理事長に就任 |
1968 | (社)全国家具工業組合会長に就任 |
1973 | 株式会社ダニエル 設立 |
1999 | 湘南木工株式会社と株式会社ダニエル合併:株式会社ダニエル |
元町に西洋家具店が多数開店。
ジョサイア・コンドル氏が明治政府の招きで来日。
“日本建築界の父”と称される英国人ジョサイア・コンドル氏は、明治政府の招きで工部大学校(現、東大建築科)で西洋建築を教えるために来日しました。
コンドル氏は当時、英国でソーン賞(建築界の登竜門)を受賞した新進気鋭の建築家でした。後に辰野金吾、片山東熊を始めとする日本建築界草創期の多くのリーダーを育てることとなります。彼は日本でも、上野の博物館、鹿鳴館、神田ニコライ堂、三井倶楽部を始め数多くの建築作品を残しています。
後の時代、このコンドル氏と姻戚関係にあった咲寿武道氏が創始者となり、現在のヨコハマクラシック家具:ダニエルの礎をつくったのです。
「Stickley & Missionstyle」WEBサイト
リクライニングチェア&ロッキングリクライナー「レイジーボーイ」特設WEBサイト